
Nakazawa Vineyard, Hokkaido
自然の力で、ワインをつくりたい。
ナカザワヴィンヤード 中澤和行さん、由紀子さんが北海道栗沢で繰り広げる、終わりなき挑戦。
北海道・栗沢でワインを造り続ける「ナカザワヴィンヤード」の中澤和行さん・由紀子さん。畑を歩きながら、自然に寄り添う栽培の考え方と、今年直面している厳しい現実を伺った。

栗沢は北海道の中でも特に冷涼なエリアだ。気温はマイナス20度近くまで下がる。ぶどうの木は、地上に出ていれば芽が凍って死んでしまう。だから毎年、木を雪の下に埋めて冬を越す。余市なら雪に埋まらなくても越冬できることがあるが、栗沢ではそれが通用しない。
栗沢はふつう豪雪地帯で、埋めるための雪に困ることはない。ところが今年は雪が少なかった。木が雪に埋まりきらず、寒気を直接受けた。
清水剪定のとき、今年は何か違いを感じましたか。
中澤春に剪定すれば、枝の切り口を見て生きているか死んでいるかは大体分かるんです。今回は枝が生きていそうに見えたので大丈夫だと思っていた。でも蓋を開けてみたら、芽がつかなかった。枝は生きているのに、そこに実がつかない。
清水畑の中でも差がありますね。
中澤風です。ここは林があるので、風が弱い。最初に見てもらった辺りは、林を越えた風がそのまま吹き下ろして抜けていく。あそこは直撃です。


林が風を遮った区画では、まだぶどうが実をつけていた。一方、風が直撃した区画では、一本の枝にひとつも実がついていない木が散見された。寒さ、雪、風。冬の条件は一つではなく、どれか一つが崩れるだけで一年の結果が変わる。
中澤うちのワインはこの畑のぶどうだけで造っているので、そのまま収量に響きます。去年の半分くらいと覚悟しています。
中澤ふつうは、その年のワインはその年のうちに全部売ってしまいます。本当は少し寝かせてから出せれば一番いいんですが、そこまでの金銭的な余裕はない。去年造ったものはどんどん売るしかなかった。
清水今年はどうされるんですか。
中澤去年はたまたま量が多かったので、一部を一年寝かせる時間が取れそうなんです。今年の収穫が少ないことは見えているので、その間を去年のワインでつないでいこうと思っています。

畑を歩きながら中澤さんが繰り返し口にしたのは、「土をいじりすぎない」ということだった。
中澤できるだけ耕しません。草が生えていれば、草の根が土をほぐしてくれる。目に見えない微生物も含めて、そこにいる生き物の邪魔をしない。農薬もできるだけ使わない。
清水ヨーロッパの畑とは考え方が違いますね。
中澤ヨーロッパは雨が少ないので、土を耕して水分の蒸発を抑えます。こういう畑を見せたらクレイジーだと言われるでしょうね。でも条件が違う。雨の多い日本では、草が余分な水を吸ってくれたほうがいい。草とぶどうが水を取り合うので糖度は少し上がりにくくなりますが、それでもこちらのほうが合っています。


耕さず、足さない栽培は、収量の面では不利に働く。それでも中澤さんは、このやり方を変えるつもりはない。
中澤たしかに量は少し減るかもしれません。でも、その土地が本来持っている力だけで育っているので、土の味がそのまま出る。温暖化の影響はずっと感じていますが、土の力を信じて、いまのやり方を一年一年改善し続けると思います。
一年に一度しか結果を見られない農業では、賽の目が出るまで、答えはわからない。だからこそ、目先の変化で舵を切ることはしない。
中澤まぁ、自分があと何年働けるかを考えると、いまさら品種や仕立てを変えてまでやる時間はない、ということもありますが(笑)。

自然を相手に勝とうとするのではなく、
自然の理の中に自分たちの営みを置く。
ナカザワヴィンヤードの看板ワイン「クリサワブラン」は、ケルナーやゲヴェルツトラミネールなど主要5品種を混醸して造られる。畑の主役はその5品種だが、木が枯れた区画には別の品種を植えてみる、という小さな挑戦を続けている。畑のあちこちに、そうして植えられたさまざまな品種が点在する。
中澤ここは元々ケルナーだったんですが、枯れたところに違う品種を植えているので混ざってしまう。これはサヴァニャンです。
サヴァニャンは、ゲヴェルツトラミネールの元になった品種だ。ゲヴェルツトラミネールはその香りの強い変異にあたる。
中澤ゲヴェルツトラミネールは香りの強いバージョンの変異です。こっちは香りを主張しすぎない。だからクリサワブランに入れても、主張せずに中に溶け込んでくれるんじゃないかと思っています。



雪、寒さ、風。自然との戦いは全方位的で、どこから崩れるか予測できない。今年は雪が足りず、風の直撃を受けた枝は実を落とした。それでも中澤さんは、耕さず、足さず、自然の邪魔をしない。土の力を信じ、一年に一度しか出ない賽の目を見ながら、やり方を少しずつ改めていく。
自然を相手に勝とうとするのではなく、自然の理の中に自分たちの営みを置き、そこで共生する。その姿勢に、深く共感した。栗沢の畑で雪の下に眠るぶどうの木のように、静かで、揺るがない信念だった。
